【HP開設6周年記念企画連載】②30代前半の話
「普段使いの陶器絵付け・スタジオアートピース」の山岡ルイです(^^)
当HP開設6周年の記念企画として、私の過去〜今の話を連載しています(※全6話の予定)。
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前回の記事のあらすじ
就職、スペインタイルとの出会い、留学、結婚など…ライフイベントが目白押しだった20代。
気持ち的には、自分のやりたいことに邁進して充実した時間を過ごしているつもりでした。でも、30代を前にふと自分を顧みた時、自分の中に積み上げたものがないことに気づいて、漠然とした不安が…。その不安の正体が分からないまま、結婚生活がスタートします。
何をやっても裏目に出た30代前半
30代前半の頃を思い出そうとすると、今でも薄暗い気持ちになります。
30歳〜36歳頃、良かったと思えることは、
●娘が生まれてくれたこと
●教室をスタートして、初期から素晴らしい生徒さんと出会えたこと
この2つ以外は特に思い出せません(笑)
20代の終わりに結婚した私は、会社を辞めたあと早めに妊娠したこともあり、一旦仕事はセーブモードに入ります。とはいえ生活がありますから、人からの薦めでWebライティングの仕事を始めることになりました。
このHPをスタートさせたのも この頃です(^^)
世の中では「すぐに始められる副業」の筆頭に挙げられるWebライティングですが、実際はそんな簡単にモノになる職種ではありません。
能力的には大抵の人ができる仕事ですが、形になるまでやり抜ける人は一握りしかいない職業だと思います。甘くも美味しくもない仕事なので、やるなら覚悟が必要!
文章を書くのは嫌いではなかったので抵抗感はなかったけれど、1記事500円とか2,000円とか、そのくらいの単価の記事を受注して、何時間もかけて書いていました。時給に換算するのが恐ろしくなるようなレベルで、生活費の足しになるどころか、時間ばかりが溶けていく趣味みたいなものでしたね(^^;)
結局今に至るまで「書くこと」は止めずに続け、それなりにスキルが積み上がったので結果的には良かったのですが、当時は途方に暮れていました。
30歳を過ぎて始めた新しい仕事。周りの友人たちは新卒から10年間かけて積み上げたものをしっかり持っているのに、その努力を怠った自分は空っぽに見えました。
実際、空っぽに近かったと思います(笑)
おそらく、よーいドンで社会人を始めたスタートラインでは、「これ!」というものを持っていない人の方が多いはずです。でも普通は早い段階で「自分は何も持ってないんだ」と自覚して、努力を重ねて経験を積んで、何者かになっていくんだと思います。
本来は努力を重ねるべき時期に、行き当たりばったりの選択を繰り返して生きていた私には、正真正銘、何もなかったんです(^^;)
●ライティングの仕事はほとんど稼ぎにならないし、
●これといった能力や実績もないし、
●家事と育児はままならない
あらゆる点で中途半端な自分への無価値感から、自己肯定感は下がり続け、どんどん卑屈な人間になっていました。
私みたいな人間は、どうせ自分では何も成し遂げられないんだから、他人にコントロールされて終わる人生を送るだけなんだと信じていたんです。
見上げた卑屈さである(笑)
で。ですよ
一見しおらしくしている私の中の深いところに「甘え」はちゃんと居座っていて、
仕事が上手くいってなくても、慣れない育児や家事をガンバッてる私はこんなに健気で可哀想なんだから、誰かが認めて助けてくれるでしょ?チラッ
って、ちゃんと計算してるんですよね(笑)
でも実際は「私はコントロールされる側が妥当な人間」だと思っていたら、「私をコントロールする人」が登場するだけでした。これは引き寄せがうんちゃらとか、他人は自分の合わせ鏡とか、そんな高尚な話ではありません。
例えば、クラスでリーダー格の子が現れたら、他の子が自然と補佐的立場に落ち着く流れと全く一緒です。私がコントロールされて然るべき人間として上手に振る舞った結果、私をコントロールする人が増える流れになっただけ。
シンプルな理屈なんですけど、着実にコントロールされる側になっている自分と、そんな自分を救い出してくれる誰かが現れないことにびっくりする私(笑)
「ここに可哀想な私がいるけど、みんな助け忘れてない?大丈夫?」って思ってたんじゃないかな(笑)
今まで人からフォローされることに慣れきっていた私はめちゃくちゃ戸惑うことになります。フォローありきで物事に取り組む癖がついているので、自分で頑張る「堪(こら)え性」が著しく少ないんですね(^^;)
この時期は、よかれと思ってやったことが嫌な結末を生んだり、人間関係がこじれたり、本当に何も上手くいかなくてね…。自業自得だけど、しんどかった。
自業自得だけど(2回目)
このままではダメだと気づき始める
「スタジオアートピース」がスタートしたのは、そんな時でした。
私はずっと「スペインタイル」というスペインの絵付けを学んできて、いつかは自分の教室が開けたらいいなと思っていたのですが、すぐに陶芸窯を買って、工房を構える余裕なんてありません。
自分の教室どころか、自分が通っていた教室のレッスンに行く気持ちの余裕すらなかったんです。
陶芸窯のような特殊な道具がなくても、家にいながら絵付けを楽しむ方法はないだろうか?と、調べまくって見つけた“陶磁器専用絵の具・ポーセレン150”という存在。これなら私も育児しながら絵付けを再開できるし、人にも教えられるかもしれない…。早速道具を揃えて、練習して、人に教えられるレベルまで腕を磨いていきました。
何もかも中途半端な混乱期にスタートさせた教室ながら、教室に立って生徒さんと話している間だけは、自分が何者かになれた気持ちだったし、嬉しくて楽しくて幸せでした。
なので、生徒さんには本当に感謝しているんです。私よく「本当に感謝しています」って言いますけど、本当に感謝してるんです!!(笑)
私が私でいられる場所を与えてくれてありがとうの気持ち。
ただ、不甲斐ない自分と対照的な教室での自分を、逃げ場にしている感は否めません。
私が過去 うやむや にしてきたこととか、向き合わず逃げ続けてきたこととか、そういうものをどこかで清算しないと、パッとしない自分が終わらない気がしていたんですよね。
で!こう言うと「真面目ですねぇ」とか言ってもらうこともあるんですけど、ここまで読んでくださった皆さんならお分かりのはず。
うまいこと逃げ切れるなら、逃げ切った方がラクだなって思う自分もちゃんといるんです。
このまま臭いものに蓋をして平穏に生きていられるなら、それもアリってちゃんと思ってる(笑)
あと、ここで宣言するような真面目さと、今までの不真面目さを天秤にかけたら、圧倒的に不真面目さが勝つんで(^^;)
最後は自分の納得感ですよね。必死に逃げて今のスタイルでいくか、自分を変えていくか、どちらが自分として納得できるか。そこで、自分を変えてみる方を選んでみたんです。
【次回めでたしめでたしの雰囲気を出しつつ、そうはいかない2022年編に続く!】