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気負わず楽しむ、陶器絵付けの教室です。
2023-08-10

【HP開設6周年記念企画連載】①20代の話

「普段使いの陶器絵付け・スタジオアートピース」の山岡ルイです(^^)

当HP開設6周年の記念企画として、私の過去〜今の話を連載します(※全6話の予定)。

何から、いつのことを、どういう順番で書くのがいいかなぁと考えていたのですが、濃い出来事がたくさん起こった20代の話から始めようと思います。

就職、海外留学、結婚…ライフイベント目白押しの20代

大学を卒業した22歳の頃。私は新進気鋭のベンチャー企業に就職しました。その頃は「ベンチャー」という言葉が盛り上がっている時代で、私の周りは、歴史ある大手企業に就職する人と、新しく勢いのあるベンチャー企業で挑戦したいと意気込む人に大きく二分されていたように思います。

社風や事業内容に惹かれて入社したベンチャー企業で社会人生活をスタートさせた私ですが、「自分の想像していた社会人」と、実際の社会人生活は大きく違いました。

忙しいとは聞いていたけれど、みんな本当に夜遅くまで働き、休み返上で出社していました。会社にパジャマと洗顔用品を常備している先輩を見て驚いたものです(^^;)でも、新卒入社した会社だったので、こうやって身を粉にして働くのが社会のスタンダードなんだと信じて、働いていました。

すごく冷静に考えれば、私みたいな新卒社員が終電近くまでやるべき仕事なんて無かったんですけど、周りの先輩より先に帰るのは気が引けて、無駄に会社に居座っていた気もします(^^;)

「自分の想像していた社会人と実際の社会人が大きく違った」と書きましたが、それは「働くスタイル」にギャップがあったのではなく、「想像していた働き方を、実際にやってみると想像以上にキツかった」という意味です。

やる気に満ち溢れて、なんでも出来るつもりでいたけれど、

・休み返上で仕事ばかりしていたら頭も体も参ってくるし、

・ストレスにさらされ過ぎると体に異常が出るし(私はこの頃に円形脱毛を発症!)、

・矛先のないストレスからは会社への反発心が生まれます。

そんなことになるなんて思ってもみなかった。私って、社会のことを本当に何も知らなかったし、想像力もなかったんです(笑)

「仕事がデキるわけでもないし、私って何のためにこの会社にいるんだろう?」なんて、五月病の見本のような気持ちで働いているうちに、仕事以外にやりがいを見出せる何かがないだろうか?とリサーチし始めました。

とりあえず興味のあることを調べているうちに、『ケイコとマナブ』というお稽古雑誌で“スペインタイル”というスペインの伝統的なクラフトを学べる教室を見つけました。

小さい頃にスペイン人の先生がやっている陶芸教室に通っていた時期があったり、大学の第二外国語で偶然スペイン語を専攻していたり、スペインという言葉に何か縁を感じていた私は、スペインタイル作りにチャレンジすることに。スペインタイルアート工房の体験レッスンに参加しました。

初めてスペインタイルの道具を使った時、もちろん最初から上手くは扱えないんですけど、頑張って続ければ上手くいくだろうという手応えと確信があったんです。

仕事ではロクな成果を出せない・パッとしない自分だけれど、この世界なら力を発揮できそうな自分を感じ、即教室に入会しました(^^)

そこからはもう夢中でした。30分でもいいからレッスンに通いたくて、平日の夜に仕事を切り上げて教室に駆け込んだことが何度あったか…。

こんな調子だったので、「本場のスペインで絵付けの勉強をしてみたい」と考えるようになったのは自然な流れでした。

スペインに行くにはお金と、日常会話に困らない程度のスペイン語能力が必要だと思ったし、スペインに行く前に学べる絵付け技術はすべて身につけておきたい=教室に通う時間を確保したいと思い、会社を辞めて派遣社員として働き始めます。

すべては留学のための決断と思っていましたけど、しんどい会社と仕事から逃げたいのが本音でしたよね(苦笑)

約1年の準備期間を経て、2012年にスペイン留学が実現。現地の工房で絵付けの勉強・語学学校でスペイン語の勉強をしながら、スペイン各地に積極的に足を運んで、新しい経験をたくさんしました(^^)

人生の夏休みのような充実した時間を過ごして日本に帰国。いつか自分の教室を開きたいと思いつつ、留学で貯金がスッカラカンになっていた私は(笑)とりあえず派遣社員として働き始め、その後は縁のあった会社に正社員として入社します。

・私はいつか自分の教室を持つはず

・私は自分の好きなタイミングで教室を開けるはず

教室を開く夢はずーっと持っていたけれど、目の前の生活や仕事を理由に、夢を現実化させる努力を先送りにしていたんですよね(^^;)

気がつけば30歳目前。いつまでも20代の気分でいたけれど、世間的には立派な大人・社会人になっているべき年代になっていました。

20代のほとんどをスペインタイルや絵付けに捧げたことに何の後悔もないけれど、その割には自分の教室を持っているわけではない。周りを見渡せば、紆余曲折ありながらも立派に働き活躍する友だちばかり。

「あれ、私このままで大丈夫か?」と漠然とした不安を感じながら、長くお付き合いしていたパートナー(今の夫)との結婚が実現し、会社を退職することにしました。

【30代編へ続く!】

勢いと他力で乗り切った20代

生まれてから20代を終えるまでという、少し長めのスパンで私の人生を振り返ると、他責思考・他人軸・他力本願で生きてきたなと思うんです。

・仕事がしんどいのは会社のせいだし、

・仕事でストレスを抱える私はかわいそうだったし、

・教室を開く夢が叶わないのはタイミングが悪いせいでした(^^;)

壁にぶつかると、それは乗り越えるべき困難ではなく、回避すべき災難だと信じて疑わなかった。仕事がしんどければ別の環境に救いを求めたらいいし、きれいな夢や理想が壊れるくらいなら向き合うのを先送りすればいいわけです。

それでもそこそこ幸せに生きられたのは、親が・家族が・パートナーが・上司が・友だちが、私を許して、お膳立てしてくれてたからなんですよね。私が私の至らなさを直視しなくても、周りが助けてくれてたんです。

例えば、あまり英語は分かっていないけれど、少ない単語数とコミュニケーション能力で海外旅行を乗り切れる人っているじゃないですか。ブロークンだろうが何だろうが、ネイティブを巻き込んでそれなりに会話を成立させる人。私はそんな感じで生きてたんです。私に実力があるんじゃなくて、周りの人に圧倒的に許されてただけ(笑)

他力本願と自分への過信、幼い万能感を20代が終わるまで持っていた私は、本当に若く、青かったんだと思います。

【残念な感じのまま30代編へ続く!】

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